日記の最近のブログ記事

偶然の電話

母が90歳で25日に亡くなった。
母の女学校時代の親友に死亡の連絡をした。
母の友人だから90歳、電話に出ない。
きっと入院してるのだろうと見当をつけた。
昨日は五回電話、今日も二回。
突然出た、「もしもし どなた」少し若い声
「新潟の〇〇です」「あ、おじさんですか、美音子です」
彼女とは五十年会っていない。
セラー服の高校時代だった。
綺麗な娘だった。
その叔母さんは息子と主人を亡くし、ひとり暮らし
娘はその叔母の兄の子、その後兄も亡くなり結婚もせず天涯孤独。
その彼女が電話にでたのだ。
「入院中なので、夕方連絡つけます」
「もう 母は居ないので、急がなくていいです」
わたしの中にはセーラー服の彼女しかいない
新たな希望がむくむくと湧きあがってきた。
品川駅の階段を昇らなくては、
リハビリの目標が出来た。

3人の作家

船戸与一、内田康夫、浅田次郎
この三人は歳も近いし、売れている程度も同じくらい。
内田康夫が浅見光彦シリーズで一番名を売っているだろうか?
実力は船戸与一が一番であろう
ただ彼は禁忌のテーマに踏み込んだ、
日本軍の南方作戦である。
この泥沼の戦いは船戸の命まで蝕むんだのではなかろうか。
まだこれからというとき病が彼の余命をされっていってしまった・・
とても残念である

今日は12日

今日は12日、 日曜日。
あっという間に建国記念日も終わった。
サッカー協会の三本足のカラスの云われが明治の中村覚之助が日本紹介輸入した事が分った。
「蹴球」と訳した。「けまり」である。貴族の遊び、蹴鞠に似ている。
サッカーで分るのは戦後、明治から百年を要した。
その覚之助が那智大社の付近で生まれたので、戦後国際大会の前に、協会関係者が那智大社を参拝した。
そこで神社伝説の三本足のカラス、「八咫烏」を協会のシンボルマークにした。
日本チームの胸に三本足のカラスが輝く、二千年の伝統が現代に生きる理由である。

我が家の近くの酒屋

我が家の近くに
「満州屋」と言う酒屋がある。
昔は流行ったらしいが、いまはどこのスーパーでも 酒を売っている。
今は不動産賃貸でゆうゆう自適に見える。
ところで満州とはどこだろう。
遼寧、吉林、黒龍江省の東北三省の版図だと思えば良い国の首都は今の吉林省にあった。
わたしが関係するのは百五十年前からロシアが街を作った
ハルピンだ。そこには聖ソフィア教会の塔がそびえるロシアの街、繁華街がロシア風のビルを1キロも残して
面影を残す。
結婚花嫁の故郷はハルピンの田舎である。
250キロはあるが満州では近所に行く感じで村人はハルピンに来る。
この村がなぜ有名か、  それは満蒙開拓団の本部があった村だから、日本人は一旦この村に集合して
それぞれの開拓地に散っていった。
終戦時 ソ連軍がなだれこんでくると開拓民は方正村にだれともなく集まった
1万とも2万ともいう。しかしまとめる者はいない
日本、関東軍は崩壊していた。
満州屋さんは方正村近辺かもしれない。

ポルトガル語の映画

本日の最後、ユーチューブでポルトガル語の映画を見た。
ポルトガル語の映画を見ながら寝ようと思って、パソコンを点けたままにした。
いつも15分くらいで暗くなるのに、今日はいつまでも終らない、
英語の映画なら15%くらい分るので、丁度 睡眠導入剤代わりになるかなと思ってねた。
しかしこのポ語映画は全く分らないのに耳につく、とうとう起き出して切った。
全くわからなくてもロシア語はもう少し耳障りがいい。
中国語は20単語くらい知っているので、もう少しいいかな。

夜中に目が覚める

今朝は夜中の1時に目が覚めて起きてしまった。
あまりにも早いのでを書いたらまた寝るつもりが忍者服部君のユーチュウブを見てしまった。
御存じ服部半蔵、警視庁の近くに半蔵門がある
地下鉄「半蔵門線」こんな名前が残っている
彼の有名人である、忍者がこんなに名前が知られて良いのだろうか、
忍者は江戸期 サラリーマン化してしまい戦国のように床下に忍び込む事も無くなってしまったに違いない。
服部家も官僚化してしまい、江戸城に屋敷をもらい裕福に暮らしたにちがいない。
徳川250年、時はすべてを流し去り、半蔵門にむかしを「しのぶ」

野鳩が飛んできた

我が家に野鳩が飛んできた
寺鳩と違って、茶色い羽をしている。
何もない庭を餌を漁っている、鳥の世界も食料確保が
難しい。何もない冬 これからどうするのだろう、
そのあといつもノラがやってきた、彼も何処で飯を
食べているのだ
我が家へは「暖」をとりにきている
果物の空き箱には発泡スチロールの断熱材が入っている
きっとそれが暖かいのだ。
彼なりにどこで何をするか知っている。
寒い冬、鳥も猫も必死だ。

家の奥まで日差しが入ってくるもう十時だと
いうのに、日が昇らない。
これが冬だろうか
昨日もう日差しが12時ころ
水道が"破裂"した。正確には分岐
配管を目くらにしておいたキャップが
吹き飛んだのだ、勢いよく水が廊下に
拭き出ている。
「どうしよう」
事態のしゅう集の方策が頭を駆け巡る
「そうだ 庭の雪ノ下に止水栓が埋まっている」
丁度来ていた訪問介護のヘルパーがいる
彼女は私と気が合う、彼女に雪を掘ってもらおう」
「彼女」に頼んだ
「いいよ」
気安く 引きうけてくれる
長靴を履いて雪を掘る
まもなく 「あった」
「それを 右にまわして」
噴出していた水は止まった
"ああ 助かった" 
「地獄にほとけ」
とは此のことだ。
優しいヘルパーでよかったな
これが、事務的に自分の仕事だけこなす様なタイプなら、今も水が出っ放しになっていたことだろう

新潟名物

新潟は土産物がない土地といわれますが「笹団子」がありました。
実は私が子供の頃の昭和二十年代は各家庭が「笹団子」を作っていました。
母が笹とヨモギを買って来ていましたから端午の節句には、市場でそれが売っていたのでしょう。
ヨモギをすりおろして、餅に混ぜていました
だから団子は緑色になるのです。
あずきをゆでて、餅で包みますこの時あずきを盗み喰いするのが子供の楽しみだから今でも粒あんが好き
笹の葉四枚で一個を包み昔の団子は葉っぱにくっついて団子が良く裂けたそれで笹の葉を5ミリくらいに割いて器用に餅を喰った
新潟の子供は片手でやる
でも最近の餅は笹にくっつかない
昔の家庭団子が食べたい
その母も認知症になり病院にいる
昭和を知る人もいない

正月の猫

このところ、雪の原を乗り越えて「野良猫」がやって来る。
餌をやったりしないが、毎日やって来ると期待する。
一月も十五日、昔の習慣もあったが、両親とも病気になって
今は聞く人もいない。
昨日は64歳の結婚相談の人から電話があった。
3年前2度ほどテレビ見合いした、その後他所の相談所に行って
結婚した、
だが上手くいかず離婚した。
そのかれが、何の用事だろう
「また当所で頼みたい」と言うのだろうか
期待して電話したのに
「やあ、お元気かと思って」 気落ちした。
知り合いが離婚した中国女性の写真をもってきた。
優しそうな顔である
一度 面談して見たくなった
そして64歳男性に紹介だ、三年前こちらの忠告を
きかず、性悪女と結婚して半年もたなかった、
こんどは上手くいって欲しいものだ。

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