我が家の近くに
「満州屋」と言う酒屋がある。
昔は流行ったらしいが、いまはどこのスーパーでも 酒を売っている。
今は不動産賃貸でゆうゆう自適に見える。
ところで満州とはどこだろう。
遼寧、吉林、黒龍江省の東北三省の版図だと思えば良い国の首都は今の吉林省にあった。
わたしが関係するのは百五十年前からロシアが街を作った
ハルピンだ。そこには聖ソフィア教会の塔がそびえるロシアの街、繁華街がロシア風のビルを1キロも残して
面影を残す。
結婚花嫁の故郷はハルピンの田舎である。
250キロはあるが満州では近所に行く感じで村人はハルピンに来る。
この村がなぜ有名か、 それは満蒙開拓団の本部があった村だから、日本人は一旦この村に集合して
それぞれの開拓地に散っていった。
終戦時 ソ連軍がなだれこんでくると開拓民は方正村にだれともなく集まった
1万とも2万ともいう。しかしまとめる者はいない
日本、関東軍は崩壊していた。
満州屋さんは方正村近辺かもしれない。
「満州屋」と言う酒屋がある。
昔は流行ったらしいが、いまはどこのスーパーでも 酒を売っている。
今は不動産賃貸でゆうゆう自適に見える。
ところで満州とはどこだろう。
遼寧、吉林、黒龍江省の東北三省の版図だと思えば良い国の首都は今の吉林省にあった。
わたしが関係するのは百五十年前からロシアが街を作った
ハルピンだ。そこには聖ソフィア教会の塔がそびえるロシアの街、繁華街がロシア風のビルを1キロも残して
面影を残す。
結婚花嫁の故郷はハルピンの田舎である。
250キロはあるが満州では近所に行く感じで村人はハルピンに来る。
この村がなぜ有名か、 それは満蒙開拓団の本部があった村だから、日本人は一旦この村に集合して
それぞれの開拓地に散っていった。
終戦時 ソ連軍がなだれこんでくると開拓民は方正村にだれともなく集まった
1万とも2万ともいう。しかしまとめる者はいない
日本、関東軍は崩壊していた。
満州屋さんは方正村近辺かもしれない。